みなさんこんばんは!ギロロ伍長@等質男でっす。
体重も減って、ちょっと浮かれ気分です。
さて、寝る前に過去の生い立ちでも・・・
小学校の頃ですね。
中学の頃にブラスバンド部に入っていたというのは記事にしましたが、小学校の頃もクラブ活動に参加していました。
学校主催のものじゃなかったのですが、「水泳少年団」なるものに入っていました。
これは、転校した小学校中学年の頃からなんですが、私カナヅチだったんですよね。
そのことを知ってか知らずか、水泳少年団に入団させられました。
田舎の小さな町でしたが、立派な町営温水プールがあり、年中プールで泳げたのです。
私はカナヅチだったので最初は子供用の浅いプール(水溜り?)で小学校低学年と一緒に水遊びをしていました。恥ずかしかったなぁ。
すぐに普通のプールにレベルアップし、最初はビート板を使ったり、バタ足の練習なんかをしていました。
やがてクロールですか、少ずつ泳ぐようになり、ターンをマスターし、やがて25m、50m、100mと泳げるようになりました。
でも、正直あんまり水泳そのものに面白みはなかったです。
楽しみだったのが、同じ少年団の女子の赤いプール水着の股間が激しく食い込んでいて、その、なんですか、スジとヒップの形がくっきりだったのが思春期直前のギロロ少年の脳裏と下半身に焼きついていました。
この頃からスケベだったんですねw
それが楽しくて行っていましたが、6年生になると足も遠ざかり、やがて行かなくなりました。飽きたんですね。
そして自然消滅的にやめてしまいました。
でもこの頃の経験のおかげで、今も25mくらいなら泳げますよ。
中学は学校にプールはなく、水泳はそれで終わりでした。
高校はプールはあったなぁ。水泳部なんてあっただろうか?
いや、なかったな。
というのもですね、最初高校入学当時、古い校舎でプールなんてなかったんですよ。
木造校舎で廊下が歩くとギシギシ鳴り、体育館は天井が鳩の巣で中央がフンで真っ白でした。
トイレなんてボットン便所でしたよ。
3年生の頃新築されて、新校舎に引っ越したんです。新校舎最初の卒業生だったんですね。
プールもそのとき併設されました。
一度も使いませんでしたが。
グラウンドも一度も使わなかったなぁ。冬の間際に新校舎に引越しで外の体育の授業は終わっていたんですよ。
話はそれましたが、まぁいいものを見させてもらって、いい思い出ですよw
小学校の集団行動はこれくらいでしたね。
そんな所です。
7:00起床
7:45自宅出発
8:15会社到着
8:15〜8:30NHKの連続ドラマをみんなで見る
8:30仕事開始
主に出金処理 物品発注
12:00午前の勤務終了 上司と外食(そば屋)
13:00午後の仕事開始
主に公共事業の入札打ち合わせ 出金処理
17:30仕事終了
18:00一旦帰宅〜同僚と飲み屋に
18:30飲み会開始
24:00帰宅 就寝
こんな感じでしたね。土建屋時代は。残業もほとんどなく、アフター5は飲み会。
仕事はのんびりムード。和気あいあい。お茶もすする。
人間関係は良好でした。上司からも評価され、東京の本社に行けるよう(出世)に働きかけてくれていました。
この頃は飲み会が主でしたね。若かったし(23歳)、体力もあった。
夜は十分寝付けた。もちろんメンヘルなんてなかったです。
秋には社員旅行で温泉に行きました。
なんでやめたんだろうな・・・
働き始めてからのオフタイムをどんな風に過ごしていたか、記事にしますか。
まずは土建屋時代ですね。
あ、共通しているのは社会人初期はネットもケータイもありませんでしたから外での活動がメインになります。
土建屋時代はですね、平日は帰宅後テレビ見て過ごし、金曜日の夜はもっぱら飲みに歩いていました。
毎週飲みに行っていたんじゃないかなぁ。
1回目の転職先の会社では、温泉旅行に一度行ったんですね。そこで温泉というか銭湯の良さを知り、週末は銭湯に行くのが多かったです。
そして、ジャズ喫茶?っぽい喫茶店に行きましたね。音楽を聴きながらコーヒーを飲み、雑誌を読んで過ごしました。
この頃に週末のオフの過ごし方が定着してきましたね。
で、今の会社に入ってですが週末は土曜日の夜が自由な時間持てました。
定番のコースとして
昼頃起床→ラーメンを食べに行く→ショッピングに行く→いったん帰宅(18:00)→牛丼を食べに行く→銭湯に行く→本屋に行く→ここで分岐します
ファミレスに行く→コンビニによって02:00頃帰宅する。
喫茶店に行く→コンビニによって02:00頃帰宅する。
ファミレス、喫茶店の共通項目は本屋で買った本を読みながらコーヒーを飲むという点です。タバコも吸っていました。
帰宅後は深夜番組をみつつ、04:00頃寝る
こんな感じでしたね。本格的にネットが導入される2000年以降は、ヤフーのチャットに入ったりネットサーフィンをしたりしていました。
まぁでも、牛丼→銭湯→コーヒー飲みながら雑誌
このパターンはずっと同じです。
これがもっぱら土曜の夜の過ごし方でしたね。
永遠に続くと思われたこの時間です。楽しいというか、安心して過ごせた時間ですね。
社宅から繁華街が近かったので食も不自由しなかったです。
うつ病だったけど、それが楽しみでした。
今は・・・喫茶店は毎日行くのにはお金がかかりすぎるので行っていません。
もっぱらニコニコしながらネットをブラブラですね。
そんなオフの過ごし方です。
みなさんはどんな風にオフを過ごしていますか?
浪人を1年して地方の駅弁に入学しました。
学生課にはバイトの募集がずらりと並んでいました。
駅弁とはいえ、県唯一の国立大学でしたのでバイトの需要と供給があったのです。
最初に応募したのは誰だったかなぁ、芸能人のコンサートの警備係でした。市民ホールでするやつです。ジャニーズとかじゃないですよ。
たぶん、ステージの前に立ってお客さんが侵攻してくるのを防ぐ係です。
たぶん、というのは私バイトの時間を間違えたんですね。それにバイトの場所も間違えてしまったんです。
いわゆる「バックレ」というやつです。バイトにはたどりつけず、すっぽかしてしまいました。
次にしたのが、県でチェーン店を持っている居酒屋のホール係です。
赤いハッピを着て「いらっしゃいませー」と大きな声でお客さんを出迎えます。
私がしたのはお客さんの誘導オーダー取り、そして料理やビールを運ぶ仕事でした。
夕方18:00〜23:00頃までしていましたね。
平日はそれほど忙しくもなく、先にバイトに入っていた同じ大学の1年上の方と話をしていました。
やはり金曜土曜、休日前が忙しかったです。それに立ち仕事だったので足はすごく疲れましたね。
このバイトは1年だったかな?2年だったかな?ほどしたのですが、賄いがついていました。
残り物とかじゃなくて一応ちゃんと作ってくれました。
イカ焼きとか唐揚げとか、あとお通しとかホルモン煮込みでしたね。これは楽しみでした。
ご飯は山盛り食べてよかったので、山盛りにして食べていました。
たまにコップ1杯の生ビールを飲んだりもしました。
食べるのはお客さんが引ける22:30〜でした。それでもこの頃は体重が55kgくらいしかなく、やせていましたねー。その分体を動かしていたからだと思います。
時給は800円くらいでした。
平行して、なんと!家庭教師のバイトもしていたのです。
最初は高校受験の受験生を教えました。英語がからっきしダメで、英語を重点的に教えました。
私が勉強のことを言うのははばかるのですが、基礎ができていなかったのです。
目標は受験!を合言葉に、1年生の基礎の基礎から教えなおしていました。
そしたら英語の成績も徐々に上がり、最終的には期末試験とかで90点くらい取るにまで成績が伸びてくれました。
受験も無事合格、志望校に行けたのです。
次に両親を県庁職員にもつ受験生を持ちました。結局彼が最後の教え子?で高校合格後も私が卒業する高校2年生まで、勉強を教えていました。
彼も一応進学校に合格し、中学生の弟もいて2人教えていました。
私が卒業で最後まで教えられなかったのが残念ですが、大学受験は無事合格し、わたしより偏差値の高い?首都圏の私立大学に進学したと、年賀状でお知らせがありました。
大学時代のバイト代は何に使ったかというと、飲み会や車のローンや維持費、飲食に使っていました。
私は国立大学合格の祝いに2年生の時でしたね、車を買ったのです。バイト代で親に車代を支払っていました。
そうそう、車の免許はバイト代で支払いました。25万円くらいだったかな。
まぁしかし、車のローンは大学卒業後も残り、働き始めたんですが結局うやむやに終わりましたねw
就職まで順調に行ったので、親が払ってくれたんでしょうね。これは感謝です。
私がしたバイトはこの位です。
バイトには恵まれていたと思います。金持ちというほどでもなかったのですが、学生時代は田舎だったこともあり、家賃安い、物価安いでいい生活ができたと思います。
やっぱり大学時代がよかったですね。
以上です。
おもしろいネタないかなーと思ったんですが、バイトのこと書いていませんでした。
なのでバイトについて書こうと思います。
私が最初にやったバイトは高校の時でスーパーの商品陳列係です。
野菜の担当で、時給は500円くらいだったのを覚えています。
ホウレンソウやキャベツを売り場に並べます。
並べるにはこつがあって、古い商品を前に陳列して、追加した新しい商品は後ろに置くのです。
そうすれば古い商品が売れ残らずに済むという訳です。
私はこのバイトをして以来、スーパーで買い物をする時は陳列の後ろから買うことにしていますw
仕事を覚えていった頃は、商品の包装もやりました。ごぼうとかですね。一束200gとかいうやつです。
これもこつがありまして、200gを基準にするのなら必ず200g以下になるように量を調整するのです。
「多く包むな」と言われました。
スーパーのg表示は、まず100%それ以下だと思って結構です。
そのスーパーは拝金主義でお正月とかも営業をしていました(当時正月営業は珍しかったしその後そのスーパーは破産しています)
冬休みにバイトをしたのですが、正月も出勤しましたね。
でも正月は商品がほとんど入ってこないので、お菓子とかのパッケージ商品の残りがあるほかは生鮮食品はなく、牛乳だけが新しいのが入ってきていた印象でした。客もまばらでしたね。
350ml缶ジュースなんですが、あれは原価が30円〜60円程度なんですよ。ジュースは儲けが大きい商品です。どんな小さな店舗にも自販機ありますよね?ちゃんと儲けが出ているんです。
バイトは夜の18:00〜22:00までで10日ほどしました。バイト代は20000円ほどでしたね。
スーパーの正社員に藤井隆に少しだけ似た、ホモっぽい店員がいましたね。なんとなくおねえ語でしたよw
そんなこんなで、バイトは終わり、バイト代はゲームの攻略本を買ったり、ゲームを買ったりして使ってしまいました。
これで、高校生バイト編は終わりです。次の記事で大学時代のを書きますね。